うえけんのTOEIC劇場

いかにして40歳からのやり直し英語にハマったのか?

AI翻訳の進化による「英語学習不要論」に対する私の考え

 英語学習者に朗報のポストエディットとは?

 何のために英語の勉強をしているのか?

 その理由のひとつに、将来に向けてビジネスの可能性を広げることにある。

 英語に関わる人にとっては、定番なのが「通訳」と「翻訳」。

 私は今、どちらに向いているのか試行錯誤中である。

 とりあえず、TOEIC800点以上はもっていないのとお話にならなそうなので、TOEICのスコアアップを最優先としている。

 ところで、今更英語を勉強してもムダだという意見の中に「機械翻訳」の進歩があげられる。

 機械翻訳とは、AI技術を利用して、人間を介さず外国語の翻訳を行うこと。 

 妻も、私が英語を勉強することに反対する理由のひとつに、

 「どうせ近い将来、AIが翻訳して人間にとって代わるでしょ」 

 といって、「英語学習不要論」の根拠となっている。

 でも、本当のところはどうなのだろうか。

 このままAI技術が進化すると、機械技術の精度は向上することになろう。

 だからといって、人間がいならなくなるとは思わない。

 むしろ、AI技術によって、日本人でも英語が身近になってくると、ますます母国語の日本語を扱う日本人による英語を扱う需要が増えるのではないのだろうか。

 たとえるなら、IT技術が進化してくるようになると、IT技術者はいらなくなるのではなくて、ますます必要不可欠なスキルであるように。

 英語についても、翻訳技術が進むことによって、ますます英語のスキルが必要不可欠なものになっていくのではないかと考えている。

 そのひとつに、私が注目しているのは「ポストエディット」という技術である。

 ポストエディットとは、英語から日本語に機械翻訳した文章に対して、ぎこちない機会文章をさらに、人間の手で修正する技術とでもいったらいいのだろうか。

 実際、翻訳ソフトなので英文を日本語に翻訳させたところ、なんというか、機械ならではの不自然さを感じたことはないだろうか。

 私の経験でも、同僚のアメリカ人ジョンさんが、翻訳ツールを使って、私たち日本人と会話を試みたことがあったが、とんでもない出来の悪さであったため、イラつきを隠せなかった。まだまだ自動翻訳技術の進歩は当面、人間を凌駕することはないと考えている。

 情報伝達については、最終的に人間同士のコミュニケーションなのに、機械任せにせず、そこの人間が介在する必要は当面つづくと思われる。

 日英翻訳者のスキルについては、英語能力のみならず、きちんとした日本語を使いこなせる能力が必要とされる。

 こうしたことは、単に帰国子女よりも、私たちのような、留学経験なし、日本にいながらにして、社会人になってから英語を学習をはじめたという人間に向いているように思われる。

 実際、会社においても英語の技術は二の次で、要は、会社にいて業績が上げられるだけの資質や技術を持っていることが先決である。英語ができることに越したことはないが、英語ができるからとって、会社で働く人間のスキルはそれだけでいいというわけではない。

 私のような、特に中高年になってから、やり直し英語を始めた人間にとって、ポストエディットという技術は将来、食べていけるだけの技術としてのヒントとなるような気が気がしてならない。

 究極的には英語翻訳者を目指すとしても、これからの時代は、AI技術と共存して、機械と人間の長所をハイブリッドにしたスキルが求められるのかもしれない。