手っ取り早く戦力になるには…
私事であるが、この度、配属先に大きな変更があった。
憧れていた英語を使う部署を離れて、場末の営業所に出戻りになった。
TOEIC730点獲得を免罪符にして、華々しい国際交流を業務の主軸にした前の職場を離れた。正直、まだまだ仕事を続けたかったし、営業職への出戻りは、なんだか国際業務の「不合格」の烙印を押されたようでショックだった。
けれどもここで腐ってはいけないのだ。
英語は、これからもずっと使える「武器」として勉強を継続していきたい。
さっそく、この決意を強くさせる出来事があった。
営業所に外国人と思しき人物から、カタコトの日本語による電話があった。
どうやら我が社の商品に興味があるらしく、ビジネスをしたいのだという。
ところがいかんせん、営業所に英語ができるのは私しかいない。
仕事の内容もまだわからないまま、通訳を買って出た。
彼の言わんとすることを理解し、適材の人物(同僚)に引き合わせ、それでもその同僚が英語に疎かったため、最後まで私が会話面でフォローした。
ビジネスが万事終了し、同僚から感謝の意を伝えられた。
営業所の人物も遠巻きに、私のお手並み拝見といったところで、傍観していた。
私の前任の担当者なら、意思疎通がうまくいかずキレていたところだという。ところが、私の対応がとてもスマートだとして評判になった。
すべては、英語の勉強をしてきたおかげである。
赴任して、早々、英語絡みで「金星」を上げた。
この一件は、私が英語の勉強を決意したエピソードを思い出させた。
英語のできる新人Mさんのことについてである。
(皮肉にも、今回の異動での「英語を使える部署」の私の後任も、このMという人物であった)
20年前のこと。私は脂の乗り切った10年選手、そこへ、大卒の新人Mが同じフロアに配属された。
お互い部署は違えど、フロアで大きなプロジェクトがあり、ちょっと手伝ってほしいと言われた。私とMが「数合わせ」 のため、そのプロジェクトに参加した。
そもそも、当時の仕事とは無関係だったし、私は10年の経験、Mは新人ながら抜群の英語力を買われての援助要請だった。
交渉相手との人数合わせのため、とりあえず交渉に同席するだけでいい、と言われて、私は気楽に参加、ところがMさんは、ここが勝負どころと思ったのか、それとも自分のウリは「英語力」だという信念があったのか、その交渉にガチンコで勝負してきた。実績がないMは、「通訳」「翻訳」という役割を見事にこなした。
援助依頼先の上司は、「Mさんがいると英語がわかるので助かる」といった。
そして、Mと同じく援助に参加した私への労いの言葉は一切なかった。
この時、自分の10年間の経験はなんだったのかと真剣に悩んだ。
やはり、経験だけでなく、「英語」という目に見える形での特技を持っていたほうがいいと痛感した。
そして、いつかMのようになりたいと、30歳で英語の勉強を決意。
とりあえず、英語勉強者の登竜門といわれる「英検2級」を目指すことにした。
そこから、何度も挫折があり、50歳を直前にしてTOEIC730点を取得した。
何がいいたいかと言えば、「英語は武器になる」ということである。
とりあえず、英語ができると、一応、戦力となり重宝がられる。
このご時世、せめて英語くらいはできるようになりたい。
社会人30年目の私が、身をもって言えるのは、
「若いころに英語をはじめておきゃ良かった」ではない。
30歳、40歳、50歳…、
英語の勉強を始めるに「遅い」ということはないということだ。