英語メンターへのアプローチ
「TOEICを何度も受け続けたところで英語力は伸びるわけではない」
英語を学習するに際して、TOEICや英検といった資格試験を至上主義とする私にとって、久しぶりに身につまされる思いの言葉を聞いた。
1.新「英語メンター」
その人との出会いは、会社でのWEB会議。
英語にかかわる通訳員と、それをサポートする支援員を一同に会する総会がオンライン上であった。私は、サポート側の支援員として参加した。
当然、より高いステージで英語の仕事に関わりたいので、いずれ、TOEICで高得点をマークして、「通訳員」になることを夢見ている。
通訳員からの自己紹介があったが、私の琴線にひっかかりのある方がいた。
海外での勤務経験が豊富で英語も堪能なNさんである。
配布された資料で、Nさんのコメントを読んで、さらに確信をした。
この人なら、自分の英語の師匠(メンター)になるのではないかと…。
「英語の勉強で悩んでいる方がいましたらお気軽に相談ください」
そんなメッセージが込められていた。
同じ組織の人間とはいえ、面識もない私が、突然、コンタクトを取って失礼にあたらないだろうか?
そんな悩みが頭の中を駆け巡った。
いくら「お気楽に相談してください」とは、それは社交辞令では?
しかし、それ以上に、なんというか、私の中でピンとくるものがあった。
そこで失礼を承知でコンタクトを取った。
自分は、英語の社内通訳員になりたいこと、
社内で使われる専門用語をとっさに英語化することが難しいこと、
おすすめの英語勉強法はないものかということ、
こうした「ぶしつけ」な質問をぶつけてみた。
2,NさんのTOEIC評
「会社人間の方は、TOEICがお好きですね…」
それが、Nさんの第一声であった。
「英語の骨格は、スピーキングやライティングで作られるもの。TOEICは英語力を図る指標ではなく、テクニックでなんとかなるもの」
矢継ぎ早にTOEIC偏重に対する私へのけん制をコメント。
そして、最後にダメ出しのひとこと。
「TOEICを受け続けたところで、英語力は伸びることはありません」
まったく耳が痛い話である。
ここ数年来、自分のやり直し英語の軸足として、TOEICのスコアアップを目指してきた。自分が英語力が足りないのは、すなわち、TOEICのスコアが低いからばかりと思っていた。(だから、TOEICの高得点さえ取れば、少なくとも、英語ができるようになると思っていた。)
私も、そろそろインプットばかりではなく、アウトプットを重視するように、スタイルを変えなくはいけない時期に来ていると思う。
そんなタイミングでNさんと出会ったことは、なんということだろう。
いや出会ったわけではない。こちらが一方的に押し掛けただけだ。
しかし、私も心の中で、どこかNさんのようなコメントを発する人を求めていたのかもしれない。
[TOEIC800点なんてちゃんと対策を立てれば大乗なので、心配ないですよ」
Nさんは、優しい言葉も決して忘れなかった。
3.改めて英語学習を決意
自分はなぜ英語ができる人になりたいと思うのか?
出世遅れの挽回のための逆転ホームランを目指しているのか?
英語ができる輩にぎゃふんと言わせたいたいめだろうか?
英語ができる人として周囲から認められたいと思っているのか?
もちろんそれもある。
けれども、一番の理由は、「イメージとのギャップを埋める」これに尽きる。
そもそも、「英語ができそうな人」というイメージがついていた。
カラオケの定番はビートルズやローリング・ストーンズだったから…。
けれども、カラオケを盛り上げるだけならまだしも、洋楽を歌う私に対して、「あの人は英語がお上手だ」と誤解する人が出てきたのも事実。
そういう人が、業務で英語に出くわし、ワラをもすがる思いで、私に頼ってくる場面があった。
そんな人たちの期待を裏切りたくない。
そこで、どうすればいいのかと考えた末、自分が英語ができる人になることを決意したのである。
英語ができそうな人ではなく、できる人になりたいと…。
4.まとめ(そして英語学習は続く)
そして、英語の勉強を通して、いろいろな人と出会い、TOEICのスコアアップを目指すことになった。
それがいつしか本末転倒になり、TOEICのスコアばかり気になるようになった。
Nさんは、そんな私に「冷や水」を浴びせてくれた。
英語を使う部署を離れて半年が経つ私。
岸くも、カウンターパートの米国人スタッフが、幹部表彰の受賞を受けた。
まさになんというタイミングなのだろう。
WEBで社内通訳員・支援員総会に参加して、Nさんにアプローチ。
そのタイミングで、半年前まで苦楽を共にしていた米国人パートナーの幹部表彰。
迷ったら、内なる声を聞くことにしている私であるが、やはり、ここ最近の一連のd出来事に言えることは、私は「英語からは逃れられない」ということに尽きる。
Nさんへのアプローチは、私にとって必然だったと思う。
またひとり、英語の師匠が増えたことは、私にとって喜ぶべきことだ。