うえけんのTOEIC劇場

いかにして40歳からのやり直し英語にハマったのか?

宅建・通関業者にTOEICは意味があるのか?

専門資格を持っていれば安泰という時代は終わった?!

 

 「日本人相手の仕事なのでTOEICなんて全く意味がない」

 職場で耳にするこの手のコメントを真に受けてはいけない。

 なにもTOEICを必要以上に重要視するわけではないが、「勉強が意味がない」と断じる発想は、このご時世、極めて危険である。

 1.生涯勉強時代を生き抜く

 結局、この手の人は、「自動翻訳の技術が進むから英語なんてやってもしょうがない」とか、「英語なんかできる奴に任せればいい」とか、なんだかんだと言い訳がましいことをいって、自分のプライドを守っているようにも聞こえなくない。

 そう、せっかくTOEICにも関心を持つアナタに足を引っ張る存在でしかない。

 「自分はTOEICは無縁だったけれど、これからの時代、英語くらいできるようになって、損はないと思うよ…」

 私が先輩の立場なら、そういうだろう。

 今の私であれば、さしずめ「自分は、50代になっても英語で苦労しているから、頭の柔らかいウチに英語の勉強を始めたほうがいいよ」とか、「40代でTOEICをはじめて、どうにか730点までは到達したから、いまから始めても、まったく遅くないよ」というだろう。

 宅建・不動産業者ならば「宅建主任」、通関業者ならば「通関士」の資格に合格させすれば、安泰だという時代は終わった。

 もちろん、宅建通関士も、無いよりは、あったほうが断然いい。

 だからといって、そうした有資格の存在を「TOEIC忌避」の理由にしてはいけない。

 せっかく宅建通関士の勉強に興味を持ちつつ、TOEICも気になるのなら、いっそ二刀流で行くというのも、考えてみる価値がある。

 英語スキルは、これから避けてとおれないことだし、英語力の証明するには、TOEICテストが優れている。

 専門資格かTOEICか、どちらを勉強すべきかの「二択思考」では、挫折の温床になりやすい。なぜなら、「二択思考」には、勉強に対するネガティブな気持ちが見え隠れするからである。

 もっといえば、その程度の「動機づけ」であれば、結局、専門資格だろうとTOEICだろうと、一定の成果を上げるのは難しい。

 将来の不安から逆算するのではなく、ぜひ希望(夢)の実現から逆算した方が、勉強の習慣が続けられる。

 結局、自分の願望(将来のイメージ)がどう描くのか?それによって、「専門資格かTOEICか」の二択の解決は、自ずと答えが導きだせるのではないだろうか。

 勉強は一生続くもの、と考えた方がいい。

 宅建通関士に合格したら「あがり」ではないし、TOEICの目標を達成したから、「卒業」ということでもない。

 専門資格にせよTOEICにせよ、一定の成果を上げるには、勉強の習慣が身に付いているだろうから、ぜひ、そうした「勉強の習慣づけフレーム」を残しつつ、学ぶことの苦しさではなく、楽しさに転嫁してもらたい。

 そうはいっても、限られた時間の中で、あれこれと手を出すことができない、という方がほとんどであろう。(自分もそのひとりだった)

 「専門資格とTOEIC、どちらをやるべきか」という質問ではなく、「とちらを優先してとりかかるべきか」という疑問に関しては、私の経験を紹介していきたい。

 2.専門資格とTOEICへの歩み

 結論からいえば、私の場合は、専門資格が先、TOEICが後、の順序であった。

 貿易会社に就職したので、まずもって貿易業界の仕事を覚えたい、という欲求があった。そして、貿易の仕事に関連する資格である「通関士試験」の存在を知り、挑戦することになった。

 通関士試験に合格したことで、仕事にも自信を持って取り組むことができた。

 せっかく通関士対策で確立した「勉強習慣」を絶やすのはもったいないと考えて、以前から気になっていた「宅建主任試験」にシフトしてみた。

 さすがに通関士のように「仕事を通じて実践的に学べる」ということはできなかったので、休日は、宅建専門スクールに通った。

 学生時代には、民法ゼミを専攻していたこともあり、まだ民法学の「知識」も薄っすら残っていたし、何よりも通関士試験の「通関業法」が、宅建試験の「宅建業法」をほとんど構造が同じだったことは、イメージ化しやすく、目からウロコであった。

 通関士宅建主任の合格は、けっして平坦な道ではなかった。

 でも一発奮起して「1年スパン」で考えて対策をしっかりやれば合格する。

 私が「通関士」と「宅建」を勉強した際のモチベーションは、決して「将来の不安」からではなかった。かといって「バラ色の人生」を描いたわけではない。

 一番の動機は、「くやしさ」であった。

 「昔の若手や中堅社員は通関士の勉強をやったものなんですけどね」

 そう嫌味をいったOB出向者。

 「宅建の勉強があるから、育英資金の募金活動なんてやってられない」

 そいって私に募金活動を押しつけた学生時代のサークルの先輩。

 (その後、この先輩が宅建に合格したような話は聞いたことがない・・)

 こうした心底許せないと思った奴らにギャフンといわせたい。

 これこそが勉強の最大のモチベーションであった。

 そして、年を重ねて40代になり、いよいよTOEICに着手する。

 ここでも、「35歳を過ぎて、何を今さらTOEICだよ」と言われたことに、ヤル気のスイッチが入った。

 40歳からTOEICを挑戦して、絶対、成果を出してやる…。

 振り返ると、くやしさこそ勉強の動機づけになっている。

 3.まとめ(資格でリベンジ!)

 仕事や生活を通じて、なにかカチンとくることがないか?

 それこそ勉強するチャンスである。

 「日本人相手の商売だからTOEICなんてやっても意味がない」

 「自動翻訳と英語ができる奴に任せればいいので、TOEICなんて時間の無駄」

 そういわれるとカチンとくる。

 それこそが勉強を継続するヒントとなる。

 ギャフンと言わせるために頑張ろう。

 「TOEICなんて意味がないよ」

 この手のセリフは、TOEICのできる人が、サラッと言うからカッコいい。