TOEIC挑戦は永遠に...
やり直し英語でTOEICテストに関わって早10年。
50歳までに730点突破の目標は、一応達成した。今度は、今年中に800点突破を目指して英語の勉強を続けている。
自分は、どうしてTOEIC800点突破を目指しているのだろう。
改めて整理することで、勉強の動機づけの一計にしようと思う。
1.出世遅れを見返す
40歳で大病、以降、いわゆる出世の道が閉ざされた。
別に社会人にとって、出世がすべてではない。
でも、そういうセリフは「出世してから」言いたいものである。
正直、同期や年下の人間の下で働くのは「屈辱」である。
そういうことに気にならない人もいるかもしれないが、やはり、出世に遅れるということは、レースに負けたということである。
そういうところで勝負をしていない、というのは、理屈としてもわかる。
けれども、出世できない自分が、ズルズルと負け犬根性の「沼」に落ちていくのが怖い。そこで「英語」、特に、数値化されてレベルが一目瞭然のTOEICの出番である。
社会人なら、(一般的に言って)誰もがうらやむTOEIC800点以上のキャリアが欲しい。負け犬キャリアの逆転ホームランとして、TOEICスコアにこだわりたい。
自分のチカラではどうにもならない「出世」を外されているものならば、自分の努力によって「英語」を武器としてたぐり寄せることは可能である。
出世で勝てないのなら、出世に負けて、TOEICで勝つ。
これが偽りのない信条である。
2.海外赴任に憧れる
出世レースの逆転ホームランと似ているが、憧れの海外赴任をして、会社人間としての「ハク」をつけたい。
一応、私の所属している会社では、TOEIC730点から「海外赴任」の門戸が開かれているものの、現実問題として「800点以上」は欲しいところである。
英語を勉強する者にとって「海外出張」「海外赴任」は、自分の英語の試金石。
海外で働くことによって、国内組との「差別化」を図ることができる。
海外で働きたいという欲求こそが、TOEICスコアアップのためのモチベーションのひとつである。
海外赴任で、国内組では味わえない経験がしてみたい。
帰国後、たとえ出世が遅れていても、他者との「差別化」が図られる。
また、海外赴任者に対しては、一定の「尊敬のまなざし」を感じている人が少なくない。海外事情や英語に関しては、「アイツに聴けばいい」と強みを持つ。
これが信頼感につながるのである。
英語ができる、海外で働いたことがある、ということだけで「あぐら」をかいて勘違いしていはいけないが、「特異な経験」を積むことは大切である。
海外と関わりのある仕事をするためのパスポート、それが、TOEIC800点である。
3.転職を目論む
履歴書に書くとしたらTOEIC800点は欲しいというのが正直なところ。
勤め人にとって「履歴書に書けるスコア」とは、すなわち「転職」を考えてのことであろう。
就職活動をしている学生ならば、TOEIC600点以上で十分かもしれないが、セカンドキャリアを考えた場合、800点は欲しい。
グローバル社会が進展している昨今、ビジネスの場において、パソコンとともに英語スキルは、持っていて当然の知識である。
せめてTOEIC800点は取得して「こんな会社、いつでも辞めてやる」という覚悟を持ちたい。
私の経験上、TOEIC800点以上は、よほど腰を据えて勉強しないと「無理ゲー」のスコアである。テクニックよりも地道な努力が必要となる。
もちとん「自分磨き」は、英語には限らないものの、TOEICスコアに関しては、汎用性が高い。どんな業種でも「ウエルカム」というムードがある。
出世が立たれ、海外赴任もまなならいが、英語に関して興味があり、勉強を続けている者にとっては、思い切って「転職」という道も良いかもしれない。
4.最後に…(生涯TOEIC挑戦者)
48歳で目標としていたTOEIC730点を突破。
憧れていた「海外関係との関わり合いのある部署」に配属された。
英語に関しての「尊敬のまなざし」を受けたもの少なからずあった。
しかし、TOEIC学習者にとっては、730点は通過点に過ぎない。
せっかく勉強する習慣が身に付いたのだがら、勉強を継続して、ワンランク上のスコアを目指したい。
やり直し英語を決意したとき、730点を突破したら、すべてがバラ色になるものかと思っていた。
満を持してチャレンジしたTOEICテストが430点。そこから、地道な努力をして、8年越しの730点突破。
ただし、TOEIC学習者にとっては、730点は、ほんの「ひよっこ」だったと知って愕然とした。上を見たらきりがないのが「TOEIC界隈」。
TOEICという船に乗りかかった自分、730点達成では満足できなかった。
次に目指すゴールは800点。
なかなか上達できないので、長くつき合える。
趣味と実益と兼ねた「知的ゲーム」と考えれば、長くつき合えるTOEICは、悪くない選択である。
こうしてこれからも私はTOEICにチャレンジするだろう。
勉強は一生続く。生涯、いちTOEIC挑戦者として学習成果を発信していきたい。