TOEIC730点を武器に地獄からの生還
私事ではあるが、40歳の時の大病した。
病床において、人生に絶望。
会社人間としてのキャリアも出世も、ジ・エンド。
退院しても、それまでの第一線の仕事から閑職に配置換え。
さらに、少人数の地方営業所に塩漬けになった。
ウチの会社は、2、3年が異動のサイクル。
しかし私は、その地方営業所で、10年近く異動なし。
自分より後に入ってきた社員が、自分よりも先に異動していくのは辛かった。
特に出世欲はないものの、自分より年下の人間が、自分を追い抜いて管理職になることは、正直いって複雑な心境であった。
1.人生の転機は英語を決意したとき
そんなとき、入院していた時に書いたノートを見返した。
「40歳からの英語」
こんな風にメモが書いてあった。
入院中、妻から英字新聞の差し入れもあった。
このまま終われるかよ…、と、心のどこかで感じていた。
転機となったのは、高校時代の恩師(英語の先生)と再会したことである。
その先生は、県立高校の英語教員から、子育てをしながら、海外留学を決意、そして、大学職員として、キャンパスで教鞭をとり、また、英語教育関連の本を共著で出版するなど、旺盛なチャレンジ精神を持っていた。
私が、やり直し英語を決意したのが、その時からである。
それまで、TOECといえば、30代に取得した430点が自己ベスト。
これを、40代中盤からの挑戦で、50歳までに730点を取ることに決めた。
幸いだったのは、暇な職場であったため、残業や休日出勤などもほどんどなく、勉強するには申し分ない環境であった。
2.TOEICトレーニングが生きがい
いったん、TOEIC730点のスコア獲得に照準を合わせると、それまでのネガティブだった生き方が好転した。
英語スキルを磨いて、悔しい思いを見返してやりたいと思った。
もちろん、すべて順風だったわけではない。
なかなかTOEIC600点の壁を越えられず、一度は、485点まで落ちたこともある。
それでも、英語に関しては、ずっとコンプレックスを感じていた。
英語ができる人についての嫉妬心は常套でなかった。
もちろん、勉強の成果なんて、誰かと比べるわけではない。
それでも、英語の勉強を継続するためのモチベーション維持のために、内なる嫉妬心や悔しさを故意に利用した節がある。
48歳の時、750点を獲得。晴れて目標の730点を突破することができた。
地方営業所から最前線の職場にも異動になり、自己肯定感も沸いてきた。
もちろん、私の仕事について、地方営業所にずっと異動もせずに配属され続けたのは、何も仕事を干されたわけでない。
むしろ、病気を再発させないための、誠意ある配慮であったかもしれない。
何分、被害妄想だけは、人一倍激しい私である。
もっと自分の身に起こったことは前向きに考えなければならないと思う。
けれども、英語の学習においては、そのマイナス思考が良かったのかもしれない。
「このまま負け犬で終われるかよ!」
英語の勉強に嫌になったら、そう言い聞かせた。
3.まとめ(コロナ禍による心境の変化)
それから、50歳になり、コロナ禍で世の中が一変した。
50歳の手習いで、ブログやツイッターを始めた。
そしたら、TOEICの勉強している師匠や仲間とのつながりが生まれた。
これは、当初、予想もしなかった展開である。
今では、プラス思考で、更なるTOEICスコアの向上に努めている。
何事にも「悔しさは成長の糧」である。
だからけっして腐ることなく、置かれた場所で花を咲かせよう。