うえけんのTOEIC劇場

いかにして40歳からのやり直し英語にハマったのか?

16年越しの熱き思い

何のために英語を?

 「アナタは英語の勉強をがんばっているので海外研修を実現させてあげたい」

 2005年11月のとある日、人事課のIさんは確かに私にそう言った。

 そして、2006年の海外研修派遣の募集要項を送付してくれた。

 今から準備しておけば、1年後、海外研修に推薦したい。

 もちろん「研修公募」を約束するわけではない、と言っていたが…、

 しかし開けて2006年、人事課の海外派遣担当者は、Sさんに変わった。

 待てど働けど「海外研修の話」はなかったので、こちらからSさんに聞いた。

 「あの話は、見送りました…」

 と、あっさりとSさんの言葉。

 そこには、Iさんが持っていた人間的な感情はひとつもなかった。

 1.英語勉強を決意

 2005年11月は私にとって英語のターニングポイントになっていた。

 人事課から「公募の内示情報」がある直前、私は地元の英会話スクールに体験入学していたのだ。

 ただし、研修募集要項の能力目安はTOEC760点。

 2005年11月当時の私は、遠く及ばず、430点だった。

 その当時の日記には、「760点なんてとても無理」と書いている。

 Iさんにも、「実は、TOEICの得点が低くて、とても募集目安に届かない」

 と告げたところ、

 「だから、こうして1年も前から、情報をお知らせしてるんじゃないですか」

 と言われた。

 そこから、私のTOEICを軸足に据えた、英語の勉強が始まった。

 もちろん順風満帆ではなかった。

 大病もしたし、何度も英語を挫折したりした。

 それでもなお、あれから16年経った今でも、英語の勉強を続けている。

 2.あれから16年経過

 昨年11月にTOEIC760点取った。

 年始の希望意向調査の時期である。

 16年越しに、海外研修の「目安値」に到達した。

 コロナ禍が世界を席巻し、もう海外派遣の道はムリかな?と思っていた。

 しかも、50代になり、若くないし…。

 研修の話が来たのが、30代半ば。せめて50歳になるまでは、海外研修や海外赴任の夢を持っていた。

 50代になり、やはり海外へ行くよりも、国内で粛々と「趣味の英語」をやろうと決めていた。

 でも、改めて考え直している。

 一年の計は元日にある。

 今一度、自分は何のために英語の勉強をしているのだろうと考えた。

 考え直すきっかけとなったのは、息子のスノボ熱だった。

 「スノーボードをやってみたい」

 小学生の息子がそんなことを言った。

 せっかくなら、北海道でもいってみたい。

 そして、将来は、カナダのウィスラーでやるのもいいかな?なんて考えたりもした。

 どうしたら安く息子をウィスラーに連れていくことができるのだろうか?

 ふと、自分がバンクーバーに赴任すればいいのでは?という考えが浮かんだ。

 ウチの会社には、バンクーバーとロサンゼルスにも事務所があって、職員を後退で派遣している「枠」がある。

 幸いにも、この「枠」に関連する仕事を、私は2年間、横浜でやっていたのだ。

 一度考えたスイッチは、どうにも止まらない…。

 何も、ピンポイントにバンクーバーに絞らなくてもいいのでは?

 ロサンゼルスなら、テーマパークもあるし、大リーグも観戦できる。

 カナダのウィンタースポーツもいいけれども、カルフォルニアアミューズメントやエンターテーメントもいいのでは?

 まったくもって、本末転倒である。 

 仕事ありき、では無い…。

 (そんことは、口が裂けても言えないが…)

 けれども一度しかない人生、海外赴任もいい経験ではないだろうか?

 改めて、「海外で働いてみたい」という意欲が沸いてきた。

 もちろん、ずっと思っていたが、最近は環境の変化がある。

 家族の理解である。

 特に子供たちが、当初は、海外なんてまっぴらご免、というスタンスがここへ来て変化している。

 カナダのスキーやスノボ、アメリカでのテーマパーク巡りも「悪くないこと」と考えているのである。

 実際、海外赴任と決まるとなれば、単身赴任になるだろう。

 けれども、夏休みとかそういう時期を利用して、家族に場所を提供する。

 そんな夢が広がりつつある。 

 そうだ、私は海外で働きたくて英語を勉強しているのではないか?

 当たり前なことであるのに、最近は、TOEICスコアや英検合否をゲーム感覚でレジャー化していたので、そんな動機すら忘れてしまっていた。

 3.そして夢は広がる…

 そして、あれこれと、年始の部署希望調査を作成しているウチに、そもそも、私が英語モードにシフトした、「海外研修」の話を思いだした。

 いきなり海外赴任よりも、とりあえず海外研修というデビューはどうだろう?

 海外研修(確か、16年前の話では、ワシントンDCに赴任するということであった)について、改めて、手を挙げてみた。

 ここで加齢を理由に断念しては、後悔が残ると思ったので…。

 退職まであと10年を切ったが、もうひと花咲かせたいという気持ちが沸いてきた。

「どうして希望が叶わないんだと思う?」 

 さる幹部が、3年前の面談で、私に言った言葉が忘れられない。

 人事課が悪いのではない。

 私の熱意が足りなかったのだ。

 そして、今からでも遅くはないと思う。

 2022年が始まったばかりだが、そんなことを考えている。