ネガティブな動機では長続きしない
私の職場の上司が、かつて「スペイン語」を勉強していた。
その理由は、英語は多くの社員が勉強しているので、自分が目立たたない。
ライバルの少ない「スペイン語」で勝負して、自分のスキルを高めるのだという。
そして、御多分に漏れず、その人は「スペイン語」の勉強を挫折した。
自己啓発のひとつとして語学の勉強をやることは素晴らしいことだと思う。
別に、英語に限らず、スペイン語だろうと中国語だろうと、何語だろうと関係ない。
自分で判断して、ある程度のスキルを身につけたほうがいいだろう。
大切なのは、勉強する動機づけだろう。
スペイン語がやりたくて仕方ないのなら、スペイン語を学ぶことは大いに結構。
ただし、英語をやったところで「勝算がない」と諦めて、仕方なく、他の言語で勝負をかけたとしても、その程度の動機ならば、きっと長続きはしないだろう。
外国語の上達とは時間のかかる地道なものである。
ある程度のレベルにいる人は、地道な苦労をしているはずである。
日の当たらない部分への想像力を欠いて、単に、成果のみをもって判断することになると、
「英語もいいけれども、英語ができる奴は掃いて捨てるほどいる。
だから、自分は〇〇語で勝負だ」
といったところで、そんなきっかけでは、挫折するのが目に見えている。
どうして、この手の人は、素直に「英語」の勉強に目を向けないのだろうか。
英語がある程度できるようになってから、キャリアアップとして、スペイン語をはじめとする第二外国語に着手しても遅くはないと思うのだけれども……。
いまや、英語は、世界共通語の地位にあるのだから、他人と比較することなく、語学に関心があれば、とりあえず英語から勉強をはじめても損はないのであろう。
こういうと必ずこう反論する人がいる。
「世界で人口が一番多い国は中国なのだから、英語より中国語の方がいいのでは?」
そういう人は、どうぞ中国語の勉強をしてもらいたい。
ただし、変に英語への偏見を持っていて、その反発心、反骨精神から中国語や他の言語を学んだところで、その程度の動機づけでは、やはり、長続きしないと思う。
(実際、そうやって、語学の勉強を挫折した人は何度も目にしてきた)
英語が嫌いだとかと言って、別の外国語の勉強を始める人は、得てして、本心では、自分も英語がやりたい、英語ができるようになりたい、と思っている人が多い。
ただし、英語ができる人が周囲に多いので、自分の稚拙な英語を、そういう人たちから馬鹿にされたくない、という意識が働いているようである。
英語の出来る人は、(一部の例外を除き)ちゃんと自分が歩んできた道をわかっているから、他人を馬鹿にしたりはしないのである。
結局、なんだかんだと言い訳をして、努力しない自分を直視しようとしない。
英語にせよ、何語のせよ、上達の方法に王道はない。
恥を忍んで、基礎から学ぶ。
語学試験などを受けて、自らの至らなさを知る。
大切なことは、毎日の勉強の継続あるのみ。
そう肝に銘じて、これからも勉強をがんばっていきたいと思う。