英語の勉強を継続させるコツは?
私の職場のI先輩は、スペイン語をやっていた。
どうして英語ではなくスペイン語なのか、と、聞いてみたところ、
「だって英語はみんなやってるから、少数派のスペイン語をモノにすれば、きっと会社からの重宝されるだろう?_」
これを聞いた私は、ああ、この程度の動機では、この人のスペイン語学習は挫折するだろうな、とし失礼ながら思ってしまった。
案の定、それ以降、I先輩がスペイン語のエキスパートになったという話はきいたことがない。いや、むしろ、挫折しただろう。
ひょっとして、本人はスペイン語を挑戦していたことすら「封印」しているのかもしれない。
やはり語学にせよ何にせよ、勉強をして、それなりのポジションを目指すのであれば、「動機づけ」が大事である。
失礼ながら、「皆が英語だから、俺はスペイン語で行く」という程度の動機づけではだめだろう。
「スペイン語が楽しくてしょうがない」という境地にならなくてはいけない。
語学の勉強の継続のコツ、それは、努力ではなく夢中ではないだろうか?
努力とは、「嫌々勉強をしている」というネガティブなイメージがある。
たとえば、「今のご時世、英語くらい出来ていないとクビになってしまう」という不安に駆られてるようなモチベーションはどうなのだろう?
ネガティブな発想からは、明るい未来が生まれてないような気がする。
私も、最初のTOEICチャレンジは、まさにネガティブそのものだった。
しかしながら、TOEIC試験を何度か受けていくうちに、スコアに一喜一憂するようになり、これがロールプレイゲームのように夢中になった。
いや、本音を言えば、苦しさを紛らわせる言い訳かもしれない。
私が、事あるごとにTOEICはゲームだといっているのは、そう自己暗示で言い聞かせることによって、自分の脳を、だまそうとしているのかもしれない。
職場に、英語ができて回りからチヤホヤされる輩がいた。
また、そうした羨望にあぐらをかいている姿勢が垣間見られた。
私は才能に嫉妬し、やっかみを覚えた。
「英語ができるからっていい気になるなよな!」
いつかギャフンと言わせてやりたいと思っていた。
そのためには、自分がいつまでたっても、自分がみっともないTOEICスコアでは、「負け犬の遠吠え」になってしまう。
それが嫌ならば、そうすればいいか?
簡単じゃないか…、
自分が「英語ができる側の人間」になればいいのだ。
そして、英語が堪能だとしてチヤホヤされる輩を、モンスターとかドラゴンという「強敵」とみなして、自分が勇者になって、立ち向かえばいいのである。
自分もそれなりのTOEICスコアを取って、コイツらを黙らせたい!
これが、ゲームと言わずして何なのか?
挫折しそうになったら、なぜ勉強をしているのか原点に立ち返り、人間の闘争本能を呼び起こしてみよう。
結局、勉強継続のコツは、自分自身の中にある。