うえけんのTOEIC劇場

いかにして40歳からのやり直し英語にハマったのか?

TOEICはゲームである

 英語の勉強を継続させるコツは?

 私の職場のI先輩は、スペイン語をやっていた。

 どうして英語ではなくスペイン語なのか、と、聞いてみたところ、

「だって英語はみんなやってるから、少数派のスペイン語をモノにすれば、きっと会社からの重宝されるだろう?_」

 これを聞いた私は、ああ、この程度の動機では、この人のスペイン語学習は挫折するだろうな、とし失礼ながら思ってしまった。

 案の定、それ以降、I先輩がスペイン語のエキスパートになったという話はきいたことがない。いや、むしろ、挫折しただろう。

 ひょっとして、本人はスペイン語を挑戦していたことすら「封印」しているのかもしれない。

 やはり語学にせよ何にせよ、勉強をして、それなりのポジションを目指すのであれば、「動機づけ」が大事である。

 失礼ながら、「皆が英語だから、俺はスペイン語で行く」という程度の動機づけではだめだろう。

 「スペイン語が楽しくてしょうがない」という境地にならなくてはいけない。

 

 語学の勉強の継続のコツ、それは、努力ではなく夢中ではないだろうか?

 努力とは、「嫌々勉強をしている」というネガティブなイメージがある。

 たとえば、「今のご時世、英語くらい出来ていないとクビになってしまう」という不安に駆られてるようなモチベーションはどうなのだろう?

 ネガティブな発想からは、明るい未来が生まれてないような気がする。

 私も、最初のTOEICチャレンジは、まさにネガティブそのものだった。

 しかしながら、TOEIC試験を何度か受けていくうちに、スコアに一喜一憂するようになり、これがロールプレイゲームのように夢中になった。

 いや、本音を言えば、苦しさを紛らわせる言い訳かもしれない。

 私が、事あるごとにTOEICはゲームだといっているのは、そう自己暗示で言い聞かせることによって、自分の脳を、だまそうとしているのかもしれない。

 

 職場に、英語ができて回りからチヤホヤされる輩がいた。

 また、そうした羨望にあぐらをかいている姿勢が垣間見られた。

 私は才能に嫉妬し、やっかみを覚えた。

 「英語ができるからっていい気になるなよな!」

 いつかギャフンと言わせてやりたいと思っていた。

 そのためには、自分がいつまでたっても、自分がみっともないTOEICスコアでは、「負け犬の遠吠え」になってしまう。

 それが嫌ならば、そうすればいいか?

 簡単じゃないか…、

 自分が「英語ができる側の人間」になればいいのだ。

 そして、英語が堪能だとしてチヤホヤされる輩を、モンスターとかドラゴンという「強敵」とみなして、自分が勇者になって、立ち向かえばいいのである。

 自分もそれなりのTOEICスコアを取って、コイツらを黙らせたい!

 これが、ゲームと言わずして何なのか?

 挫折しそうになったら、なぜ勉強をしているのか原点に立ち返り、人間の闘争本能を呼び起こしてみよう。

 結局、勉強継続のコツは、自分自身の中にある。