うえけんのTOEIC劇場

いかにして40歳からのやり直し英語にハマったのか?

自動翻訳と英語学習

AI自動翻訳は英語学習を凌駕するのか

 AI時代が到来し、英語勉強の必要性の是非が議論されている。

 「英語なんて、AIが自動翻訳してくれるから、勉強しても時間の無駄」

 こう考える人が増えてきている。

 個人的には、英語ができる人が少ない方が、自分の希少価値が増えるので、そう考える人は、どんどんAIに期待して、英語の勉強なんかしなくても大丈夫だと思う。

 私自身、AI自動翻訳機はとても懐疑的だといわざるを得ない。

 ポ〇トークという音声翻訳機がある。

 私の勤務する会社には、同じフロアに、ケンさんという、シアトル出身のビジネスマンいる。ある日、ランチ懇親会があり、日本語のわからないケンさんは、ポ〇トークを持参してきた。

 「M子さんは、いま、どこへ行った?」

 こんな簡単な言葉ですら、英語から日本語に直されると、とても私など、ちょっと英語をかじったことのある人からすれば、機械音声はとてもイライラする。

 出来があまりにも悪すぎなのだ。まあ、これなんぞ、技術的な問題なので、近い将来、解決されるのかもしれない。

 しかしながら、どうも、ケンさんの言葉が、機械音声で、たとだどしい日本語に翻訳されると、苛立ちを覚えてしまうのだ。

 英語は英語として、ケンさん自身の言葉で話されていたほうが、コミュニケーションが深まるのである。

 ポ〇トークに関しては、違和感と不信感を感じていた。

 しかし、問題はこれだけではなかった。英語のできる側の人間、たとえば、私や、私の上司のAさんなどは、ポ〇トークなんか使わなくて、きちんと人間同士の会話がしたいと思うのだが、食事会に居合わせた多くの(英語ができない)日本人社員は、異句同音に「ポ〇トークって、凄い」と、その出来をほめていたことにある。

 ここに危惧を感じている。

 失礼ながら、この程度のひどい日本語訳でも、技術を過信する無知(あえて言えば)の人々に対して、これが現実なのかと、深い憤りを感じるのである。

 やはり、機械で翻訳した英語なり日本語なりを、最終的には、人間がチェックをしなければいけない、というが、当面の今後の未来、そしてAI自動翻訳との付き合い方である。

 言い換えると、将来、AI自動翻訳が進めば進むほど、英語が必要となる需要が生まれ、概して、それをチェックしたり、人間らしい言葉に置き換えたりする作業が必要不可欠になってくると思われる。

 つまり、自動翻訳が広く使われるようになれば、ますます人間による英語の需要が不可欠ではないとかと考えている。

 AI社会到来になれば、英語なんていらないと考えるべきか。

 AI時代到来だからこそ、英語の学習が不可欠と考えるべきか。

 私なら、後者の方を選び、今日も、英語学習をしようと思う。