どん底の果てにたどり着いた先は…
私は、40歳のとに大病をした。
睡眠時間もほとんどなく、がむしゃらに働いた結果、通勤電車の中で倒れ込んだ。
私の身は、とある病院に預かりとなり、1カ月近い療養生活が続いた。
この時、私の人生は終わったと思った。
病床において、私は日記をつけるようにした。
退院したらやりたいこととか、将来の夢なんかを書いた。
そこで、ふと「40歳からの英語」というフレーズが浮かんだ。
そうだ、退院したら、英語の勉強を始めてみるのもいいかもしれない。
入院中の日記に、「40歳からの英語」の具体的な計画を三つ書いた。
1.NHKラジオ英語をはじめること
2.エイザーの英文法をやること
3.英字新聞を読むこと
これは、入院中決意したもので、紆余曲折があったにせよ、現在、私の英語の勉強の根幹となっている。
だが、やはり、世の中はそんなに甘いものではなかった。
退院して、会社に復帰したものの、待っていたのは、地獄のような日々だった。
仕事を任されない「閑職扱い」となってしまったのである。
存在しているのか、どうなのかもわからない、そんなどうでもいい毎日。
病気になって、自分には、なんにも売りになることがないことを痛感した。
もしも、自分に、他人には負けないスキルがあれば、毎日が寂しいなんて思えないんじゃないかと思った。
それでも自暴自棄になった時期もある。
病院での決意もどこえやら、「40歳からの英語」構想は、暗礁に乗り上げた。
でも、そんななかでも「このままじゃいけない」と思うようになった。
44歳の時、高校時代にお世話になった英語のT先生と話す機会を持った。
そこで、やはり、自分のこれからは、「英語を得意分野になりたい」と思った。
私の会社では、TOEICのスコアを目安として、海外赴任の道が開かれている。
だから私は、自分のキャリアの一発逆転ホームランのために、英語の勉強のペースをあげることにした。
やがて、NHKラジオ英語とエイザー英文法は卒業して、TOEICスコアの結果にこだわろうと思ったため、新たな三原則を心に決めた。それは次のとおりである。
1.平日は、アルク通信講座をやる
2.休日は、TOEIC公式問題集をやる
3.英字新聞を読む
そして、アルク通信講座と公式問題集は、できるだけ、朝の早い時間に行うように、自分に習慣化を課した。
ルーティンというのは、大したもので、いったん定着していしまうと、やらないと気持ち悪い感覚になる。そうなれば、しめたものである。
50歳までに、目標としていた海外赴任の道は無理だったが、それでもTOEIC730点は突破した。
なにより、毎日、英語の勉強を継続していることが、自分の自信につながった。
職場では、英語のことで、頼りにされることもあり、辛い気持ちも吹き飛んだ。
もちろん、私よりも英語のできる人は、会社の中でもたくさんいる。
しかし、40歳で大病したものの、英語を勉強することで、50歳までに、最前線へと復帰した感があり、これは大きな収穫だった。
英語の勉強をしていなかったら、いつまでも腐っていたことだろう。
私を救ったのは、英語の上達によって、自分に価値を見出したことにある。
英語勉強で、自らのキャリアの逆転ホームランを打ったことを誇りに思っている。
そして、何かに苦しんでいる人は、(別に英語ではなくてもいいけれど)なにかの勉強をしてみて、自分のスキルを磨くことをおススメしたい。