うえけんのTOEIC劇場

いかにして40歳からのやり直し英語にハマったのか?

二度の挫折を経て48歳でTOEIC730点を達成した話

 失敗から学ぶシニア向けTOEIC対策

 どうしたら先輩のように英語の勉強を継続できるのですか?

 若い人たちから、こう聞かれることが多くなった。

 コロナ禍になり、将来への不安があるのだろう。

 英語のスキル向上が、私のいる会社でも、にわかに注目されつつある。

 私は、これまでずっと英語の勉強を続けてきたわけではない。

 むしろ、挫折とやり直しの繰り返しである。

 しかし、50歳になって、英語の勉強の習慣化が確立されつつある。

 それも、過去に2回の挫折を経て、そこから学んだことにある。

 1.30歳・英検2級で慢心が生まれた

 英語キャリアについては、後発組である。

 入社してまず、全社員にTOEICの実施が義務付けられ、そこで「ふるい」にかけられることになる。

 その時に受けたスコアは残っていないだが、なにしろ散々な結果だったことだけは覚えている。

 まずもって、問題するところの意図が、写真問題以外はわからなかった。

 自分には英語とは関係もないと思っていたので、不甲斐ない結果についても、悔しいとさえ思わなかった。

 最初の挫折といえばそれまでだが、それほど深刻には考えていない。

 転機となったのは、入社8年目の30歳になったときである。

 この時、英語ができる職員に対して、嫉妬らしい感情がはじめて生まれた。

 そこで、一発奮起、英語の上達には資格試験の挑戦しかないと思い、英検準2級、英検2級と受けた。そこで合格。

 TOEICはたしか430点だった。

 TOEICの点数は良くなかったものの、英検2級という一応の目標を達成したことにより、英語の勉強をそこで卒業した。

 慢心が生まれたのも事実であった。

 しかし、英語というのは継続しないとすぐにさびていく能力であった。

 2.国際部門に配属されて2度目の挫折

 英検2級を取得して、満を持して社内の国際部門に配属されたのが35歳の時。

 この時、外国との英語のやり取りで、自分の非力な英語力を知り自信喪失。

 精神を害する兆候が見られてきたのもこのころから。

 とにかく、仕事や英語が、嫌で嫌で仕方がなかった。

 英語ができるようになれば、「バラ色」な生活が送れるというイメージがもろくも崩れ、ひたすら苦行のような日々が続いた。

 「英語なんてできるようになっても、何の得にもならない」

 ここで、2度目の英語への決別を行った。

 3.大病して三たび英語へのチャレンジ

 それからも体調がすぐれず、40歳のときに通勤途中に倒れ、入院生活に。

 この時、自分の会社人間としての人生は終わったと思った。

 退院して、数年間は閑職がつづいた。

 でも、なぜか、このままではいけないと思った。

 そこで、自分には何ができるかと思い、人生で三度目の「やり直し英語」をスタートさせた。

 高校時代の恩師を訪ねたのもこの頃、かつての英語のマドンナ先生は、その後、キャリアアップをして、大学の准教授になられていた。

 この先生が編集に携わっていた本が、「マーフィーのケンブリッジ英文法」の日本語版。先生からこの本を記念にいただき、英文法の基礎をやり直し。

 結局、この一冊が人生を変える転機となった。

 TOEICのスコアアップを勉強の軸に据えていたので、最初は600点、そして、最終的には730点突破を目指し、計画的で無理のない勉強を心掛けた。

 夜の勉強では誘惑が多いので、朝型に切り替えた。

 毎日、英語の勉強に触れられるように、NHKラジオ・ビジネス英語や英字新聞に手を出したのもこの頃から。 

 やがて、TOEICのスコアに本格的にこだわりたいと思ったので、社内で斡旋している、アルク通信講座に切り替え、朝の勉強ルーティンを習慣づけ。

 そして、48歳にして、目標としていたTOEIC730点突破した。

 4.最後に……

 自分の英語勉強の遍歴は順風満帆ではなかった。

 しかし、挫折があったからこそ、こうして今、勉強の重要性に気づいている。

 次なるTOEICの目標として800点超えを目指している。

 自分の経験が誰かの役に立つことになるとしたら、こんなに嬉しいことはない。