TOEICのマイナス面
ビジネスマンならばTOEIC。
私は、ここ10年、社会人のやり直し英語としてTOEICに軸足を定めてきた。
娘の英検チャレンジを期に、私もTOEICと共に英検を挑戦することにした。
そこでいくつかの気づきの点があったので紹介していきたい。
1.英検は学生向けという誤解
まず、TOEICは社会人、英検は学生向けという前提は大きな誤解である。
TOEIC一辺倒でだっときには、気づかなかったTOEICのマイナス面がある。
それは、TOEIC試験の本番では、問題用紙にを書き込むことができない、という点である。
英語の実力を測定する試験で、どうして「しるし」や「下線」ができないのか?
ルールといえばそれまでだが、適正に英語力を図るには、本文や余白に書き込むことで、英語力の理解が深まるのならばいいのではないか?
その点、英検は、書き込み自由、さらに問題用紙も持ち帰っていいいというありがたい制度がある。
この点は、TOEICは大いに見習うべき点である。
概して、TOEICは、英語の処理能力やスピード感を測定するものである。
一方、英検は、英語の論理的思考を評価するものであるといえる。
とちらが優れているか、ではなく、どちらも必要なのである。
何も英語の処理能力が早いだけで、英語力の評価が決まるわけではない。
社会人にとってもスピード感と共に、論理的思考は必要不可欠である。
2.じっくり英語を味わう
TOEICと英検の二刀流トレーニングを実践してから気づいたことはもうひとつ。
英字新聞の社説をじっくりと読むクセがついたことがある。
日々の英語学習の継続方法のひとつとして、私は英字新聞を購読している。
そして、どんなに忙しくても社説の音読(声に出せない状況では黙読)をしている。
TOEIC対策をやっていたときは気づかなかったが、英検準1級対策を加えてから、英文社説をがっつりと読むようになった。
TOEICでは、とにかく早く読むトレーニングをしていたが、英検では、英語で考えて、自分の論旨をまとめるという英作文問題がある。
せっかく身銭を切って英字新聞を購読しているので、これを使わない手がない。
TOEIC単独の頃は、義務だった英字新聞。
TOEICと英検を併用することで、実践的に活用する機会がグッと増えた。
特にTOEIC学習の指南法などを読んでいると、「英字新聞は時間のムダ」というコメントを多く目にする。
果たしてそうだろうか?
個人的には、いくらTOEICのスコアが良くても、新聞を読むことを「時間のムダ」だと考えている人は、社会人として、あまり褒められたことではないような気がする。
何も英字新聞の購読を強要するつもりはない。
けれども、私は、英検にチャレンジするようになってから、副教材として、英字新聞を活用できることに気づいた。これは、TOEICオンリーの頃には、そこまで重要視していなかったことである。
3.英検で親子の絆
最後に、社会人にとって、仕事と共に家族の存在は大きい。
私が英検にも手を広げた背景のひとつに娘の英検チャレンジの影響が大きい。
それまでTOEIC一辺倒だった私。
娘が英検を受験すると知ると、私も、英検に関心を持ちはじめた。
そして10年ぶりくらいに英検の問題集や教材を取り寄せトレーニングを開始。
まさに目からウロコの思いであった。
親子で「英検対策」という共通の話題ができたのも嬉しい誤算であった。
子は親の背中を見て育つというが、口をすっぱくして「勉強しろ」というより、親も子供と共に勉強するという姿勢が大切ではないだろうか。
それを、「ビジネスの場で英検は評価ゼロだから時間のムダ」と断じるのは、いささか英語勉強指南者のコメントとしては、いささか失当ではないかとのきらいがある。
4.まとめ(英検を受けよう)
私は、TOEICがダメで英検が良いとか、その逆と主張しているのではない。
どちらの試験も「良し悪し」がある。
ただし、残念に思うのは、TOEIC至上主義が英検をやり玉にあげていることを危惧している。
英検は年間で300万人もの受験生がいる。
そのほとんどが学生と言っても、300万が持つ「市場性」の意味は馬鹿にできない。
市場性とは、英語学習の良質で安価な教材や問題集が揃っているということ。
英語学習者が、その事実に目を背けることは実にもったいない話である。