うえけんのTOEIC劇場

いかにして40歳からのやり直し英語にハマったのか?

面白おかしい英語資格ブログを目指す

 楽しく書くことは難しい

 「いつものように面白おかしく書いてくれよな」

 社内報に「ボウリング大会」の報告を担当することになった私。

 上司から「面白おかしく書くように」とも注文が入った。

 実際、書くことは苦ではないけれど、改めて「面白おかしく」かくのは難しい。

 もちろん、そういう目で見られているのは光栄である。

 私はモノを書くこと、とりわけ「面白おかしく」書くことに長けているらしい。

 そうであれば、TOEICと英検の「英語資格ブログ」も面白おかしく書けるのではないか?

 実際、TOEICでは、面白おかしいブログは稀有であるものの確かに存在する。

 私の愛読である、こぢゃさん(id:pojama)による「TOEIC900点を目指すオレのためめのブログ」が秀逸。

 「楽しいTOEICブログ」というコンセプトでは、唯一の成功例と言ってよい。

 「楽しく書く」ことの前提では、いかに自分を笑えるかにある。 

 そもそも英語学習は、まじめなもの、そこに「楽しい」とか「ユニーク」とか、「ふざけた」という次元で語ることは難しい。

 「楽しく英語学習」は、言っていることはわかるけれども、実際、「声に出して笑うTOEICブログ」は不可能に近い。

 TOEICが楽しいと思えるのは、スコアに一喜一憂すること、そして、そこにゲーム感覚の醍醐味がある。それは、「熱中する」や「夢中になる」という感覚にちかい。

 いわゆる「面白おかしく書く」という範疇からは外れると思う。

 1.試験会場あるある

 TOEICや英検のお笑いについては、ありがちなのが、当日の会場での「あるある」ではないだろうか。

 ありがちなのが「隣のヤツ」とか「周りのヤツ」の迷惑行為。

 空腹で迎えたTOEIC会場、突然、後ろのヤツがマクドナルドのポテトを食べだしたので、匂いが充満して、テストに集中できなかった。

 貧乏ゆすりがひどかったり、リーディング試験をあきらめて昼寝に入るとか…。

 私自身、さる会場では、突然、上にあった蛍光灯が点滅しだしたので、試験管に挙手をして惨状を訴え、試験中に席を代わる(その影響で、試験が一時中断、約1分間の延長時間あり)というユニークな経験をした。

 また、先日、受けた英検では(これは笑いごとではないけれども)突然、急病人が発しして受験教室が修羅場と化した例がある。

 当日の会場アクセス、試験官の勘違いによる試験開始時間のフライングなど、数をあげればきりがない。

 笑える英語試験とは、受験者に共通する「笑い」(想定通りに事が進行しない)が、を共有ことにある。 

 けれども毎回起こるわけではない。

 毎回更新する「英語資格ブログ」の中で、上質な笑い(面白おかしいこと)を伝えるのは改めて難しいと思われる。

 2.試験問題あるある

 「悪天候による航空機が送らたので空港で使える食事クーポンがもらえる」

 TOEICをやりこめている人には、ありがちな設定である。

 インド人は、シンさんかグプタさんという名前であるのか?

 コピー機は、なぜいつも紙詰まりを起こすのか?

 平日なのに仕事そっちのけで社員がスポーツ大会に昂じているのか?

 ツッコミどころ満載のTOEIC問題。

 架空のシチュエーションが舞台のTOEICの方が、英検に比べて、出題傾向に「笑いの要素」があるようだ。

 ここでの笑いの本質は、ツッコミどころ。

 TOEICテストというまじめな中で、いや、まじめだからこそ、そこに不真面目な要素を見つけたときの喜び、そしてそれを発信して共感をえること。

 そういえば、公式問題集では、かつての流行歌手(スター)が、華やかりし現役時代をふりかえり、今では、ひとりでレストランへ行っても誰も気づかれなくなった、と強がりを見せる紳士がいた。(ネタバレになるが、話のオチは、律儀にもマネージャーに感謝するところで終わる)

 英語試験ではないが、かつて高校時代の一斉テストをやっているとき、国語に出題された物語に感動して、試験中に泣いてしまった経験をもつ私、さすがにTOEICでは泣くことはないが、かつての流行歌手の「あの人は今」的な出題では、公式問題種とありながらも、感動させられる展開である。

 「泣き笑い」という言葉ではないが、笑いと共に、「泣かせる出題」というのも、「面白おかしいTOEIC出題」の醍醐味のひとつ。

 なにしろ、誰かにとっての悲劇はあまりにも喜劇であるから…、

 3.最後に(自分を笑えるか…)

 英語資格の「面白おかしさ」とは、結局、自分の結果が笑えるかではないか?

 スコアや合否が判定されたとき、どこの原因があるのか振り返る。

 やはり徹夜明けの受験はダメだったとか、結果を受け入れ、それを客観的に分析すること。そこに面白味が生まれる。

 TOEICにせよ英検にせよ、結局は結果がすべて。

 結果による「悲喜こもごも」こそ「面白おかしさ」の本質である。

 「英語資格」と「面白おかしさ」は両立するのか?

 英語学習をめぐる課題がまた増えた。

 そんなことで頭を悩ますなら勉強しろよ!

 それは「百も承知」である。