うえけんのTOEIC劇場

いかにして40歳からのやり直し英語にハマったのか?

英語公用語化に反対する

 英語こそがすべて⁈

 社内英語公用語化について、楽天ユニクロを思い浮かべる人が多い。

 いよいよ英語が苦手な人にとっては、肩身の狭い時代がやってくる?

 そんなことはないはずだ。

 なぜなら、英語は、何歳になっても始めることに遅くはない。

 むしろ、若いウチから「英語漬け」の輩をどうにかした方がいい。

 社内英語公用語については、30年に及ぶ社会人生活をしてきた者からすれば、

 ・仕事ができる人とは限らない

 ・仕事を覚えるのが先、英語は後でいい

 ・TOEIC高得点者をチヤホヤするのは論外

 と考えている。

 1.英語と仕事は別モノ

 一芸に秀でるモノはすべてに秀でるのか?

 どうもTOEIC学習者の中には、採用や転職について、「TOEIC高得点であるので『努力家』であることを買って欲しい」みたいなコメントをする人がいう。 

 たしかに一理ある。

 TOEIC高得点(満点や900点以上)であれば、「優秀な人」なので、何をやらせても「結果」を残す優秀な人と評価されがちである。

 私も高得点に憧れていたクチである。

 でも、最近は、その考えを改めてきた。TOEICの頂点を目指した人は、何か他のことを犠牲にしているのではないか?ということである。 

 英語は、道具のひとつにすぎない。

 要するに、英語を使って「何が」できるのかが大切である。

 これは、パソコンなどにも言えることで、エクセルが得意と自負する人が、簡単な旅費ソフトが使えなかったり(旅費ソフトの根底にあるのは、エクセル技術よりも、時刻表や料金率表の読み方といったスキルが根底にあることが必要、つまり、パソコン熟練者よりも鉄道趣味人の方に軍配が上がる)

 この点で、英語が不得意な奴らが多いので、いっそのこと「社内を英語公用化したらいいんじゃね?」という発想は乱暴であるし、首を絞めることになりかねない。

 2.仕事が先、英語が後

 社会人たる者、英語が出来て損はない。

 けれども、まずは、社会人としてのマナーや思考、会社での初歩的な業務に精通してもらいたい。

 英語は、すぐに身につかなくても大丈夫。 

 ただし、英語を通した友達づくりは、した方がいいので、なんらかの英語学習をする習慣は早いうちに身に付けていた方がいい。

 私も英語をやろうと決意したのは、仕事に役立つためであったが、実際、英会話スクールや英語サークルなどを通じて得たことは、会社以外の交友関係を広げられたこと、趣味(音楽、映画、スポーツ観戦、鉄道旅行)の世界が、英語の学習を通して、広がったことが大きい。

 もちろん、TOEICや英検といった、英語学習者にとっての「イベント」も年1回は参加するようになった。こちらも、それはそれで楽しみであった。

(そう、英語は苦役や修行ではなく、楽しむことです…)

 英語に関しては、学習スタートの状況によって「選別」されやすいスキルである。

 いくら社内英語公用化になったからといって、焦ってはじめても、帰国子女や留学経験、ましてや外国人ネイティブスピーカーには、逆立ちしてもかなわない。

 だったら、そこそこ英語が出来つつ、自分ならではの強みを展開した方がいい。

 3.高得点者を優遇しない

 困ったことに、TOEIC高得点者は、すべてではないが、英語ができるということだけで、社会人1年目、2年目から早々にまわりがチヤホヤしてしまうことにある。

 そこに「あぐら」をかく人間の存在が一定数存在する。

 そういう人にとっては、社内でも一目置かれ、「語学研修」や「海外派遣」など、英才教育を優先的に受けさせる。こういう人は、私の経験値で恐縮であるが、「離職率」も高いと踏んでいる。

 人事というのは、難しい。

 会社の金を使ってスキルアップした人間を、みすみす人材育成費用を、ネコババされたようなものではないか?

 高得点者は、放っておいても、英語をウリにしてくるだろうし、英語の勉強に更に磨きをかけてくるだろうから、その手の人間には、英語育成の手を差し伸べることは無用ではないだろうか?

 機械的、盲目的にTOEICスコアを持って、人を評価することに疑問が残る。

 4.まとめ(英語を学ぶ)

 社内英語公用化は賛成しがたい。

 英語ができるというだけで優遇される危惧がある。

 ともすれば、英語が苦手な人にっては、心穏やかでない面もある。

 英語が得意というのは、育った環境の理由もひとつ。

 公用語化によって、「英語嫌い」を増やさなければいいと思う。

 公用化には反対だけれども、私は英語の勉強はこれからも継続したい。

 それは、ビジネスにせよ、プライベートにせよ、英語を使う外国人の方々との交流して、ひとつ確信めいたことがある。

 「外国人が日本語を学ぶより、日本人が英語を学んだ方がいい」

 いやいや、流暢に日本語をしゃべる外国人タレントさんやお相撲さんがいっぱいいるのではないか?そういう反論もあろう。

 けれども、一見、日本語が得意そうでも、日本語は英語よりも難しいと思う。

 (外タレさんの手書きフリップは、たいていローマ字を使っているし…)

 たとえ、英語がわからなくても、たとえば、ジョン・レノンの「イマジン」などを聴くと、何を言わんとするメッセージなのか、なんとなくわかるのではないだろうか?

 英語が下手くそな日本人を一掃するため、社内の英語公用化をすすめる。

 そこに英語への「愛」がありますか?